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サイズ | 幅 65cm × 奥行 35cm × 高さ 29cm |
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創業は明治22年、初代・奥山弥三郎が人形づくりを始める。昭和39年に奥山健二郎が二代目を継承。
昭和43年、小西清一が三代目を継承し、昭和61年、通商産業大臣表彰、伝統的工芸品産業功労者表彰を受賞。
その翌年に現代表の小西司郎が四代目を継承。
平成13年には『清甫』として、130 年に渡る活躍と数々の伝統的かつ独創的な人形制作活動が認められ、京都府・京の老舗百年優良店認定を受ける。
平成19年、小西司郎が京都府伝統産業優秀技術者賞、翌年に伝統的工芸品産業功労者表彰を受賞。平成27年には瑞宝単光章を受賞する。
< 瑞宝単光章勳章受章 >
これまでの京人形業界への多大なる功績が認められ、瑞宝単光章勲章を受章しました。
京人形手足師<澤野正>
京都で唯一の京人形手足師「澤野正」。現在、雛人形の手はプラスチックや樹脂素材が非常に多い。
少しいい物になると、木彫で手の形を彫り、そのうえから胡粉 (貝の殻を砕いて作った塗料)を重ねて作った木手が付く。
最高級の京人形になると、この澤野正の胡粉塗の手足が付く。
その作り方は、木に針金を挿し、指の形に整えた上から、胡粉 を何層にも重ねて塗り重ね(雪だるま作りのような感覚)厚 みをつけ、そこから小刀で削り美しい指にしあげてゆく。
最高峰となれば、さらに爪まで精巧に削り付けられる。
京都西陣織「誉勘商店(こんかんしょうてん)」
初代誉田屋勘兵衛が没したのが1761年という記録が過去帳に残り、創業は江戸宝歴年間前と伝わる。 現在の当主松井幸生は13代目にあたり、250年以上受け継がれた伝統、業績を忘れること無く日々研鑽を怠らない。 250年以上もの時が流れようとも、正絹しかも西陣織という“Made in 京都”にこだわり続ける、京都を代表する金欄専門店。 250年の歴史の結晶であるこの金欄を惜しげもなく使った雛人形、五月人形を直に御覧になってみてください。 その光沢、風合いは貴方の視覚を存分に楽しませ、肌触りはあなたの常識を易々と超えるでしょう。
京都西陣織「大嶋金襴(おおしまきんらん)」
最高級正絹西陣織に特化した金襴商。昭和58年、実父である大嶋喬が1800年代後半より続く京都の老舗金襴卸問屋で約30年勤めた後に独立し「大嶋金襴」を設立。
現代表の大嶋浩之は二代目。その納品先は著名人形職人のみならず、本山級神社仏閣、人間国宝級刀匠など多岐に渡る。本金や手織をはじめとする最高級正絹西陣織に特化した金襴商。
貞明皇后陛下 幻の御装束
【唐衣】白小葵地向鳳凰丸文樣
【表着】青亀甲地文白藤丸文様
美智子上皇陛下 御装束
【唐衣】白小葵地松喰向鶴丸文様
【表着】三重穆地白樺の丸文樣
雅子皇后陛下 御装束
【唐衣】白小葵地向鶴丸文樣
【表着】三重襷地浜茄子文様
<黄呂染>
禁色(きんじき)とは、天皇を頂点とした国家体制の確立を目指す中で、下位の者が身に着ける事を禁じられた色、衣服をさします。
青、赤、黄丹、支子、深紫、深緋、深蘇芳そして黄櫨染、?塵(麹塵)が禁色であり、その中でも黄櫨染は天皇のみが着用を許された絶対禁色。そしてその正確な染色法は、この令和の時代でも一般に知らされてはいません。
櫨(はぜ)の木に含まれる黄色と蘇芳色の赤を掛け合わせた、今で言う黄土色に似た色の生地に天子専用の文様である桐竹鳳凰麒麟文様を織り出した御袍は、現代においても「即位礼正殿の儀」等の皇室における最重要の儀式においても着用されています。
光の当たり具合によって様々な色を楽しませてくれるとされる黄櫨染。
その中でも最たる色は、太陽光に照らされた時のものであると言われており、御殿から出た天皇陛下が太陽の光に照らされ、色の変わり行く黄櫨染を身にまとったその御姿は、人々の目にさぞ神々しく見えたことでしょう。
< 京製本革 清水焼石帯 >
束帯装束(公家の正装)を身に着ける際のベルトの様な役割を果たす「石帯(せきたい)」。
雛人形の殿の腰の部分に巻かれていますが、ビニールにプラスチック、海外製のものがほとんど。
最高級は京製の本革に京都清水焼の石(緑色)が付いたものになります。