※納期に関しては、受注メールにてご通知させて頂きます。事前にご確認をされたい方は、TEL.06-6763-1788 迄ご連絡くださいませ。
サイズ | 幅 105cm × 奥行 45cm × 高さ 36cm |
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創業は明治22年、初代・奥山弥三郎が人形づくりを始める。昭和39年に奥山健二郎が二代目を継承。
昭和43年、小西清一が三代目を継承し、昭和61年、通商産業大臣表彰、伝統的工芸品産業功労者表彰を受賞。
その翌年に現代表の小西司郎が四代目を継承。
平成13年には『清甫』として、130 年に渡る活躍と数々の伝統的かつ独創的な人形制作活動が認められ、京都府・京の老舗百年優良店認定を受ける。
平成19年、小西司郎が京都府伝統産業優秀技術者賞、翌年に伝統的工芸品産業功労者表彰を受賞。平成27年には瑞宝単光章を受賞する。
< 瑞宝単光章勳章受章 >
これまでの京人形業界への多大なる功績が認められ、瑞宝単光章勲章を受章しました。
< 片岡屏風店 >東京で唯一の屏風専門店
1946年東京墨田に創業以来節句用、ホテル式場用、装飾用など屏風を専門に製造。屏風博物館の運営や、屏風づくり体験など屏風の文化継承や屏風の普及活動にも尽力している。
日本の伝統美を今に伝える屏風製作会社。
貞明皇后陛下 幻の御装束
【唐衣】白小葵地向鳳凰丸文樣
【表着】青亀甲地文白藤丸文様
美智子上皇陛下 御装束
【唐衣】白小葵地松喰向鶴丸文様
【表着】三重穆地白樺の丸文樣
雅子皇后陛下 御装束
【唐衣】白小葵地向鶴丸文樣
【表着】三重襷地浜茄子文様
<本金手描蒔絵道具>
雛人形に使われる道具には木製のものとプラスチック製のものがある。また、絵の部分においても印刷と手描きが存在する。
最高級品は、雛道具の本場である静岡で本金を用いて手描きのもの。もちろん総木製。
京都西陣織「誉勘商店(こんかんしょうてん)」
初代誉田屋勘兵衛が没したのが1761年という記録が過去帳に残り、創業は江戸宝歴年間前と伝わる。現在の当主松井幸生は13代目にあたり、250年以上受け継がれた伝統、業績を忘れること無く日々研鑽を怠らない。250年以上もの時が流れようとも、正絹しかも西陣織という“Made in 京都”にこだわり続ける、京都を代表する金欄専門店。250年の歴史の結晶であるこの金欄を惜しげもなく使った雛人形、五月人形を直に御覧になってみてください。その光沢、風合いは貴方の視覚を存分に楽しませ、肌触りはあなたの常識を易々と超えるでしょう。
京都西陣織「大嶋金襴(おおしまきんらん)」
最高級正絹西陣織に特化した金襴商。昭和58年、実父である大嶋喬が1800年代後半より続く京都の老舗金襴卸問屋で約30年勤めた後に独立し「大嶋金襴」を設立。
現代表の大嶋浩之は二代目。その納品先は著名人形職人のみならず、本山級神社仏閣、人間国宝級刀匠など多岐に渡る。本金や手織をはじめとする最高級正絹西陣織に特化した金襴商。
日本最高峰 京頭師
<<川瀬 猪山>>
最高の京頭師として確実に名前が挙がる職人。 猪山師の手による柔らかで、そして穏やかな気品漂う表情は、 控えめでありながら見るものを魅了し、
同じ京頭師達も頷くほどの高度な手仕事と感性により生まれる。また、面相道具へのこだわりも日本一であると言っても過言ではなく、
その種類の多さ、所有数からは描画の繊細さと難しさを窺い知ることが出来る。 代々世に認められる猪山師の頭は、今も昔も京頭の象徴として尊ばれています。
その製作は、型抜きに始まり、乾燥、眼入れ、地塗り、なか塗り、めきり、さらえ、研磨、上塗り、描毛・・・・と気の遠くなる程の手間を要する。
特に、眉や口紅の描画には熟練の技術と経験、集中力を必要とする。
京人形手足師 <澤野正>
京都で唯一の京人形手足師「澤野正」。現在、雛人形の手はプラスチックや樹脂素材が非常に多い。
少しいい物になると、木彫で手の形を彫り、そのうえから胡粉 (貝の殻を砕いて作った塗料)を重ねて作った木手が付く。
最高級の京人形になると、この澤野正の胡粉塗の手足が付く。
その作り方は、木に針金を挿し、指の形に整えた上から、胡粉 を何層にも重ねて塗り重ね(雪だるま作りのような感覚)厚 みをつけ、そこから小刀で削り美しい指にしあげてゆく。
最高峰となれば、さらに爪まで精巧に削り付けられる。
<黄呂染>
禁色(きんじき)とは、天皇を頂点とした国家体制の確立を目指す中で、下位の者が身に着ける事を禁じられた色、衣服をさします。
青、赤、黄丹、支子、深紫、深緋、深蘇芳そして黄櫨染、?塵(麹塵)が禁色であり、その中でも黄櫨染は天皇のみが着用を許された絶対禁色。そしてその正確な染色法は、この令和の時代でも一般に知らされてはいません。
櫨(はぜ)の木に含まれる黄色と蘇芳色の赤を掛け合わせた、今で言う黄土色に似た色の生地に天子専用の文様である桐竹鳳凰麒麟文様を織り出した御袍は、現代においても「即位礼正殿の儀」等の皇室における最重要の儀式においても着用されています。
光の当たり具合によって様々な色を楽しませてくれるとされる黄櫨染。
その中でも最たる色は、太陽光に照らされた時のものであると言われており、御殿から出た天皇陛下が太陽の光に照らされ、色の変わり行く黄櫨染を身にまとったその御姿は、人々の目にさぞ神々しく見えたことでしょう。
< 京製本革 清水焼石帯 >
束帯装束(公家の正装)を身に着ける際のベルトの様な役割を果たす「石帯(せきたい)」。
雛人形の殿の腰の部分に巻かれていますが、ビニールにプラスチック、海外製のものがほとんど。
最高級は京製の本革に京都清水焼の石が付いたもので、小道具師工藤史桜が手掛けたもの。
※写真の「魚帯」は付いていない場合もあります。
<ひのおまし>
お雛様の殿と姫が座っている親王台とい う畳台の実物。京都御所の中にある歴代天皇陛下がお座りになっていた御座。
増村人形店では、現在では変色していまっている京都御所の正式な繧繝縁の色彩を京都で250年以上続く金襴商「誉勘商店」に復元してもらい、それを基に昼御座を製作し、 親王台に採用しています。
有職雲上流 村岡松華堂
《 村岡 登志一 むらおかとしかず》
平安時代より、宮中の行事には様々な造花が使用されてきた。その製造技術を継承し、続けてきた造花師こそが有職造花師である。
現在の宮内庁御用達にあたる禁裏御用達の有職造花師・華林伊右衛門の家に初代の村岡が弟子入りし、八代に渡り村岡家がその技術を継承し続けてきた。
平安末期、宮中の節会で用いた儀式花に始まる雲上流有職造花の技術を守るのは、京都では村岡登志一ただ一人である。
代表的作品である、京都御所紫宸殿前の桜橋をはじめ、千家をはじめとする御茶会の飾り花や本願寺の飾りなども手掛けている。