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サイズ | 幅 約50cm × 奥行 約25cm × 高さ 約22cm |
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創業260余年。安政2年、初代雛幸が雛人形づくりを始め、大正3年には東京大正博覧会にて二世雛幸作「三代将軍御庭遊人形」が宮内省より御買上賜る。
昭和45年、三世雛幸が有職雛人形の継承が認められ黄綬褒章を授章。
平成元年、四世雛幸が伝統工芸士に認定。平成11年、現五世が四世雛幸に師事。
平成11年、「五世雛幸」を襲名。経済産業省指定産業「京人形」伝統工芸士。現在に至るまで、有職雛人形司として数多くの創作雛を手がける。
幼小より磨いてきた木彫の技術を高めるため、京仏師林清嗣師に師事。自らの京人形に最適とも言える京頭の原型を制作するなど、今後も更なる活躍に目が離せない。
京都は日本の心のふるさと。侘び寂びそして雅びという日本人の美意識は、すべて京都から生まれました。
そして、人形の故郷もまた京都です。京人形は幾星霜を経てなお人々に愛され育まれ、暮しの奥深くに根づいています。
平安の昔から伝えられる雅びな京人形の歴史。時代や生活様式は大きく変わっても、人形を、そして我が子を愛し慈しむ人々の気持に変わりはありません。
今後も一世雛幸の代より伝承し続けてきた一子相伝の技と、有職雛人形司たる自負の念を礎に、丹精に丹精を重ねて創作御雛を仕上げて参ります。
<黄呂染>
禁色(きんじき)とは、天皇を頂点とした国家体制の確立を目指す中で、下位の者が身に着ける事を禁じられた色、衣服をさします。
青、赤、黄丹、支子、深紫、深緋、深蘇芳そして黄櫨染、?塵(麹塵)が禁色であり、その中でも黄櫨染は天皇のみが着用を許された絶対禁色。
そしてその正確な染色法は、この令和の時代でも一般に知らされてはいません。
櫨(はぜ)の木に含まれる黄色と蘇芳色の赤を掛け合わせた、今で言う黄土色に似た色の生地に天子専用の文様である 桐竹鳳凰麒麟文様を織り出した御袍は、現代においても「即位礼正殿の儀」等の皇室における最重要の儀式においても着用されています。
光の当たり具合によって様々な色を楽しませてくれるとされる黄櫨染。
その中でも最たる色は、太陽光に照らされた時のものであると言われており、御殿から出た天皇陛下が太陽の光に照らされ、 色の変わり行く黄櫨染を身にまとったその御姿は、人々の目にさぞ神々しく見えたことでしょう。
京都西陣織正絹 黄呂染 雅子皇后陛下御装束
貞明皇后陛下 幻の御装束
【唐衣】白小葵地向鳳凰丸文樣
【表着】青亀甲地文白藤丸文様
美智子上皇陛下 御装束
【唐衣】白小葵地松喰向鶴丸文様
【表着】三重穆地白樺の丸文樣
雅子皇后陛下 御装束
【唐衣】白小葵地向鶴丸文樣
【表着】三重襷地浜茄子文様
京人形手足師 <澤野正>
京都で唯一の京人形手足師「澤野正」。現在、雛人形の手はプラスチックや樹脂素材が非常に多い。
少しいい物になると、木彫で手の形を彫り、そのうえから胡粉 (貝の殻を砕いて作った塗料)を重ねて作った木手が付く。
最高級の京人形になると、この澤野正の胡粉塗の手足が付く。
その作り方は、木に針金を挿し、指の形に整えた上から、胡粉 を何層にも重ねて塗り重ね(雪だるま作りのような感覚)厚 みをつけ、そこから小刀で削り美しい指にしあげてゆく。
最高峰となれば、さらに爪まで精巧に削り付けられる。
< 京製本革 清水焼石帯 >
束帯装束(公家の正装)を身に着ける際のベルトの様な役割を果たす「石帯(せきたい)」。
雛人形の殿の腰の部分に巻かれていますが、ビニールにプラスチック、海外製のものがほとんど。
最高級は京製の本革に京都清水焼の石(緑色)が付いたものになります。
蝶番や屏風枠を付けずに金を引き立たせております。 また、不織布に箔押し加工をすることで縦や横に筋を出す風合いが楽しめる洋金箔屏風となっております。