- 節句お役立ちガイド
- 五月人形編
五月人形や道具の意味を解説
5月5日はこどもの日として知られていますが、この日はもともとは端午の節句でした。
その日に欠かせないのが、五月人形。兜や弓などの勇ましい道具や様々な人形がありますが、そもそもなぜ飾られるようになったのでしょうか。その由来と意味をご紹介します。
- 「五月人形」とは、男の子の誕生を祝うとともに、鯉のぼりのようにこどもの日に飾られる人形のことです。鎧や兜をつけた姿がかっこよく迫力がある人形なのですが、そもそも五月人形を飾る意味はなぜなのでしょうか。
今回は、「五月人形を飾る意味」や「兜やその周りにある飾りの意味」なども含めてご紹介します。
なぜ五月人形ができたのか、歴史を遡ることで昔の人が込められた想いも知ることができるので、最後までぜひ読んでみてくださいね。
五月人形の意味
端午の節句とは
端午の節句は、古代中国における季節の行事から伝わりました。
昔中国では、5月の時期は病気が流行し、トラブルが多かったことから、5月5日は5が2つもあり、災いを呼ぶと言われていました。
そのため、厄除けに菖蒲を飾ったり菖蒲酒を飲み、健康祈願をしていたのです。
武家では、男子のお祝いとして甲冑や刀などを飾り、勇ましく成長できるようにという想いも込められていました。
現在では、五月人形を飾ることは「端午の節句の祝い方の一つ」と捉えられているようです。
五月人形の意味
五月人形にはどういった意味があるのか気になりますよね。
五月人形は、「こどもの健康と成長を願うもの」です。
こどもの代わりに厄を引き受けたり、子孫繁栄を願うという意味合いもあります。
また人形を飾ることでお祝いをしたり、男の子が無事に育ってくれるようにという祈願する気持ちも込められているのです。
五月人形とこいのぼり、それぞれの意味
5月5日に飾られる「五月人形」と「鯉のぼり」にはそれぞれ意味があります。
五月人形の習慣が広まったのは江戸時代からで、武士の家で災難や厄などから男の子を守るという気持ちを込められて飾られるようになりました。
鯉のぼりの意味は、鯉は「生きる力がたくましく強いので縁起が良い」といわれています。
「これからも元気に育ちますように」という願いを込めて、こどもの日に鯉が飾られるようになりました。
五月人形は人に譲ってはいけない?
五月人形は、「子どもの身代わりになって厄を引き受ける」という意味があるので、人に譲ってはいけません。
もしお下がりで使用すると、厄を引き継いでしまう恐れがあるためこども1人につき1つの人形を用意しましょう。
兄弟や、お父さんの五月人形と一緒に飾ることは問題はありません。
また、役目を終えた五月人形は普通のゴミと一緒に捨てずに、ちゃんと供養することをおすすめします。
五月人形やそれぞれの道具の意味
たくさん飾るものや種類があり、最初飾る時に戸惑いますが、ひとつひとつの道具に昔から伝わる意味があります。
どれもこどもを守るのに欠かせない大事な役割をしています。
鎧や兜
昔戦があったころに、武将にとって鎧や兜は「自分の身を守る欠かせない道具」でした。
なので、鎧や兜には「命を守る」という意味合いがあり、「男の子が災害や病気、事故から守ってもらえるように」という願いが込められています。
弓矢と太刀
弓矢と太刀は「魔除け」の意味があります。
太刀は、刀とは違って戦うための道具ではなく儀式として使われていました。
長い弓は「神様が降りて宿るもの」、太刀は「人を傷つけない儀式と護身のためのもの」として飾られています。
屏風(風神雷神、龍、虎、鯉、赤富士)
五月人形の後ろに立てられる屏風には、色んな種類がありそれぞれ意味も違います。
- 風神雷神‥‥家、子どもを邪気から守る
- 龍‥‥「福」を招く
- 虎‥‥男の子の健やかな成長を願う
- 鯉‥‥威勢よく強く生きる
- 赤富士‥‥縁起がよい
三品
三品はどれも戦にかかせない道具です。
- 軍扇‥‥軍を指揮するために使った扇。金などで日の丸を描いたものが多くある
- 陣笠‥‥下級の兵が昔、兜の代わりにかぶった笠
- 陣太鼓‥‥自分の軍に合図を送るための太鼓
鎧や兜の前に3つセットにして飾られます。
三宝(三台とも呼ばれます)
三宝は、瓶子、柏餅、粽の3つを指します。
- 瓶子(へいし)は、紙ごとで酒を入れる器でまつりや祝事などの行事に使われていました。
- 柏餅(かしわもち)は上新粉の持ちにあんこを挟んで柏の葉で包んでいる和菓子です。
柏の葉は新芽が出るまでに古い葉が落ちないことから、「武士の子孫繁栄」として縁起がよく、江戸時代のときに端午の節句に柏餅を食べる習慣が広がりました。 - 粽(ちまき)は、もち米やうるち米などで作られたお餅。
三角形や円錐形に形を整え、ササなどの葉で包んでイグサなどで縛り、蒸す、または茹でて食べられます。
ちまきの起源については、端午の節句に古代中国の詩人が川に身を投げだし、その供養のため、川にちまきを流した故事に由来するといわれています。
武者人形
5月5日の端午の節句に飾る人形(五月人形)のこと。
江戸時代の前期ごろから、家の前に棚をつくり大型の人形を飾るようになりました。
江戸時代中期には、縁側や店先など見えるところに飾られるようになり、後期には、家の中で飾れるように小型のものとなりいろんなひとが飾るようになりました。武者人形は歴史上や伝説上で、有名な英雄をモデルとした人形がたくさんあるので、それぞれが象徴するものや込められた想いなどがあります。
金太郎
童話の中でもよく知られている「金太郎」。
この金太郎の話の元になっているのが、平安時代にいた坂田金時といわれています。
幼名が「金太郎」であったことから、時を経て金太郎は健康を表すシンボルとなりました。
金太郎を飾ることで、「優しい気持ちを持った子に育って欲しい」という願いも込められているのです。
鍾馗(しょうき)
「鍾馗」とは中国で「疫病神を追い払う」とされている神様です。
眉毛が太く、髪の毛とひげが長いのが特徴的な身なりをしています。
もともと中国の唐の時代に実在した人物といわれていて、大変な努力家で学問に専念し、官吏の試験を受けたものの、顔が醜いという理由で不合格にさせられます。
それを抗議するために、自ら命を絶ってしまいました。その後、玄宗皇帝によって、手厚く葬られました。
玄宗皇帝が病にかかった時に、夢の中で小鬼を退治する大鬼が現れ、名を尋ねると鍾馗だと答え、手厚く葬られた恩返しにきたと言ったのです。
その次の日夢から冷めた玄宗皇帝の病気はすっかりよくなりました。
そこから、夢で見た鍾馗の姿を絵師に描かせて、「子どもを守る魔除けの守り神」、「また学業成就の神様」として飾る風習ができたのです。
神武天皇
「神武天皇」は最初の天皇といわれています。
神天様と呼ばれて、5月人形でもみんなから愛されています。
戦の際に、神武天皇の持っていた弓に金の鷹が止まりました。
その輝きに敵の目がくらみ、大勝利したという伝承があります。
それが元になり、神武天皇のぶじゃ人形は弓の上に鷹が止まっている姿をしています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
五月人形や道具には様々な想いが込められていて、1つ1つの意味を知るとどれも興味深いですね。昔から伝わる伝説の人物や神様が子どもたちが「健やかに強く生きられるように」と守ってくれているのですね。
この五月人形を飾ったり、贈ることで、ご家族からの愛情も伝わってきますね。
場所に困らない小さな五月人形もあり、種類も豊富ですので、ぜひ一度手にとってみてはいかがでしょうか。